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今回のニューヨークでの事件から遡ること六年前、世界を揺るがす宗教テロが日本で起きました。地下鉄にサリンが撒かれ、数千人が死傷した無差別攻撃。教祖を始め幹部の多くが実行犯として逮捕され、小さな教団は壊滅するものと思われました。しかし、一部の出家信者は信仰を捨てず、教団はその名を変えて今も存続しています。現アレフ、旧オウム真理教の起こしたこの地下鉄サリン事件を知らない日本人はいないでしょう。 以前にも触れたことがありますが、実質的サリン製造者として逮捕されながら今も信仰を捨てずにいる土谷正実被告は私と同時期に同じ大学で修学しており、半年ほど直接の交流がありました。温厚で理性的な彼が、何故あのような事件に荷担し、どうして今も麻原彰晃師を信仰しているのか──それは喉元に突きつけられた刃のように、宗教者としての私の意識から離れることのない問題です。 オウムの信仰者たちが住む町では激しい排除運動が起こり、自治体による住民票不受理や信徒の子供らの就学拒否など、様々な事態が発生しています。平成十一年、群馬県藤岡市の土地建物をオウムが購入し信徒が住み着いたことから、やはり住民運動が巻き起こりました。本書は、信徒の退去までおよそ半年間に渡る顛末を描いたものです。といっても「住民たちが一丸となって邪悪なオウムを追い出した、万歳」などという単純なストーリーではありません。最初は激しく対立していた住民と信徒が、少しずつ会話を交わして互いの人格を知り、「おめえら一人一人は、悪い奴じゃないんだよな。でも、事件があまりにも大きかったからな。教団を認めることはできねえけど、おめえらを叩く道理はねえはずだ」(一六九頁)との共通認識が一部住民の間に生まれるほどに偏見が溶けてゆく過程だったのです。そして、本書を書いた「記録する会」には住民だけでなく藤岡に居住していた信徒たちも参加し、ひとつの出来事が住民側と信徒側の両方から綴られるという希有の内容となっています(なお、本書の印税のうち信徒の取り分については全額がオウム事件の被害者救済に充てられるとのことで、その点はご安心下さい)。 信徒との対話、なんていうと「さては人権屋のパフォーマンスだろう」と考える方もおられるでしょうが、とんでもありません。本書にも「信徒の人権を守れ!」と叫ぶ人権派グループが部分的に登場しますが、彼らは住民の言葉にまったく聞く耳を持たない乱暴な悪役として描かれています。住民だって決して一枚岩などではありません。本書によれば藤岡は政争の町らしく、オウム事件を巡っても市長派(行政主導の当番制)と反市長派(自発的ボランティア)の二つの住民組織がオウム施設を監視しました。当初違法行為すれすれに信徒と対立したのも、後に信徒との対話を通じて奇跡的な交流を実現したのも、後者のグループでした。そのグループにしても各人が様々な意見と感情をもってこの出来事に対峙してきたことは、巻末の住民座談会を読めば明らかです。 本書編纂の中心人物であるフリーライター・岩本太郎氏は、「あとがき」で次のように述べています。 オウム追放を唱える人々は「地域の平和を守れ!」「遺族や被害者の この文章は表紙にもそのまま記されており、本書全体のスタンスを的確に示しています。生身の他者を想う心。その一点を見失わなければ「対立する者たちの対話」が決して非現実的なものではないと勇気づけられる一冊でした。 |