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以前からその高名だけは耳にしていたティク・ナット・ハン師の著書を初めて読みました。師は臨済宗の流れを汲むベトナム人禅者です。でも、日本の禅僧のイメージ(あくまで「イメージ」ですよ)とは随分と異なり、日常生活の場面に即して平易な言葉で語られる説法は、初期仏教のそれに近しいものです。もともとベトナムは中国伝来の大乗仏教と南伝の上座部仏教が混在してきた土地ですから、大乗経団の中にも初期仏教の素朴さが息づいているのかも知れません。 内容は期待以上に澄んだものでした。私にとって教義知識的に目新しいものはほとんどなかったにも関わらず、日々の暮らしの中で私たちの心が揺らめき動く様を洞察し丁寧に解きほぐしてゆくその語り口は、仏教という宗教の根幹を巧みに押さえていて実に自然に頷けます。とりわけ、仏教の専門語が一般用語に言い換えられ(例えば「念」→「はっきりした心」)て使われるために、「そう、仏教っていうのはこういう教えなんだよ」と改めて意識させるような新鮮さがありました。 ハン師の教団は、ベトナム戦争の渦中に誕生し、平和のための社会活動に大きく寄与しました。共産主義にも反共産主義にも与しなかった彼らは、両方の陣営から敵視され、多くの仲間が命を失ったようです。それでも彼はいいます。仏教者は抑圧と不正義に反対する立場を明確に取らなければならない、しかし抵抗運動に荷担するのではなく、状況を変える努力をするべきなのだと。 私たちは和解を求めたのであって、勝利を求めたのではありません。 これはとても困難な行為です。想像してみてください。今、アメリカに行ってパレスチナ人やアフガニスタン人の苦しみを伝え、アフガニスタンに行ってアメリカ人の苦しみを伝えて、世界に満ちた憎しみと暴力を溶かす手助けをするためには、どれだけの意志と覚悟を必要とするか──。 宗派がどうこうではなく、教義云々でもなく、「仏教って、何?」ということを知りたい人のために、最初の一冊としてお勧めする価値があります。もちろん、教学論争や多忙な寺務に追われて仏教本来の姿をつい見失ってしまう私たち現代日本の僧侶にも、新鮮な息吹を感じさせてくれる筈です。 |