『地獄は一定すみかぞかし 小説 暁烏敏』

石和鷹

新潮社


 著者・石和鷹を知ったのは、彼の死を告げる新聞記事を読んだ時のことでした。実は彼の葬儀を執り行ったのが法華宗(本門流)僧侶でもある歌人・福島泰樹で、その前衛短歌のスタイルや、寺山修司・中井英夫・塚本邦雄などの幻想作家との厚い親交に関心を持つものとしては、この石和鷹という耳慣れぬ作家がどのような作品を書いているのかに興味を覚えたわけです。そして、咽喉癌の手術により言葉を失った著者がその経験を織り交ぜた遺作をものしており、そのモチーフが暁烏敏(あけがらす・はや)である事を知って、早速今井書店に注文したものです。

 暁烏敏は明治−昭和期に活躍した浄土真宗の僧侶であり、長く門外不出の書とされていた親鸞の歎異抄を広く世に知らしめた人物、その程度の認識しかありませんでした。本書を読むと、随分とスキャンダルの多い風変わりな人物であった由。非常にあくが強くカリスマ性に満ちた人のようで、創造性の背後にある対人関係の不全が見てとれます。

 本書は、著者自身とおぼしき主人公が咽喉癌で声を失うところから始まります。絶望的な気持ちの中で彼は暁烏の著書に出会い、その否定の果てにある徹底した現実肯定の言葉に励まされるようにしながら、日々を生きてゆく。発声教室に通いながらうまく声を出せない苛立ちや、暁烏の足跡を辿る旅、失われた愛人。そうしたモチーフをはさみこみながらも、この作品のメインは、発声教室でであった婦人との筆談や手紙のやりとりによる、暁烏の評伝とそれに対する評価です。その辺りが、小説としては……少なくとも物語としては、マイナス要因になっています。筆談によるリアルタイムなやりとりとして膨大な情報を記述する不自然さ、婦人の性格設定に見られる明らかな役割意識、都合良く暁烏のそれに重なる主人公自身の愛人問題。本書に於いて、物語はそれ自体が目的ではなく、暁烏の評伝を語るために配置された稚拙ともいえる枠組です。敢えて小説という手法で記述する必然性が果たして著者の内面にあったのか、疑問ですね。

(初出:F式ワンダーランド! 1997年7月)

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